’95.1.18−2日目−

あろうことか、地震の当日実家へ弟一家が、千葉から来て泊まっていた。
5才の長男と3才の長女。
地震の時、長男は目を覚まして泣いたそうだ。
が、長女は気づかず寝ていたという。
やはり女は強いかな。
千葉で日常的な地震には慣れていても、これだけの地震に合い、続く余震のなかに留まる気にはなれない。
「なんとしても今日帰りたい」との希望に、電車が動いている西宮北口まで、父が車で送ることにした。
何時間かかるかわからない。
おにぎり・水筒を十分に用意し、8時までにはでかける。西宮北口から阪急で京都、そこから新幹線が一番固い。
子供連れだから、とにかく食べるものと飲むものはできるだけ持って出て行った。

ダイエーとそごうが今日から営業するという。
買い出しにいこう。
少し早めに行って並んだほうがいいかもしれない・・・と母と出かける。
母はすでに営業しているダイエーへ、私は、早くも出来つつあるそごうの列に並ぶ。
・・・「少し早め」どころか、ダイエーは7時から営業していたらしく、すでに販売する商品がなくなったと、並ぶ列を解散させ始めた。
そごう開店は12時とアナウンス。
まだ2時間以上ある。
寒空の下、並ぶしかない。
マクドナルドが営業している。せめて珈琲でも飲みながら並ぼうとマクドナルドへ。
ここもまた行列。
1時間半並んであきらめた。
母と、買うものと買う手順を打ち合わせする。
手際よく、手分けして買わないと、買いたいものが買えない。
まずは、一人1袋に制限されているお米を、1袋づつ確保する。
買うほうも必死だが、この中、早朝から出勤している従業員には、もっと頭が下がる。
ましてや7時から営業していたダイエーの従業員は、あれだけのあと、寝ずに働いていたとしか思えない。
とんでもない会社だと思った。
ひたすら感謝する。

買い物で半日が終わる。
それでも、家の中で、いつ天井が落ちて来るかと思いながら余震にゆられTVを見ているよりは、よほど気が紛れた。
夕方になり、少し気持ちが落ち着いて来る。
ここで初めて会社の部署の人間に電話をかけまわる。
一人、家が全壊している。
一番気にしていた灘の一人暮らしの社員は、無事に親戚に家に居るという。
こういうときは、やはり実家に聞くのが一番情報がある。
通信仲間には、すでに、昨日ZAURUSで無事をアップしている。
が、よほどあせっていたのだろう、漢字入力の仕方をすっかり思いだせず、 あせって英語でアップしたのだった。
パソコン通信の電子会議室では、お見舞いのアップがよせられている。

なかで、フォーラムの管理者であるSYSOPが唯一でてくる場面が、決まってある。
「死亡者」の話になると、待ってました私の役目とばかり、飛びだして来る。
TVもラジオも、死亡者リストばかりが延々流れる。
一体、探したい人がどこにいるのか?
なんで、誰が何処に避難しているのかが流れないのか?
死人以外に用はないのか?
なんとも、出口のないトンネルに閉じ込められた気分になる。
絶望的な情報ばかりが、目と耳を覆う。

いまだに揺れる足下と、希望のない情報に、何を考えていいのかよくわからない。
8時に出かけた父が戻って来るころは、もう暗かった。

[2日目編 end]


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