メンタルケア

人質が解放された。
様々な事実が解明され始めた。

人質へのメンタル・ケアについて、色々と書かれているのを読みながら、
地震の後の自分を思いだしている。
たかが数十秒と、4ヵ月。
しかもプライバシーがないばかりか、常に死と背中あわせの状態であった状況は、
地震後の私と比するものではないことは十分承知している。
それを承知の上で、思いだしたことを徒然と書いてみる。

ある新聞の意見に
「しばらくはできるだけ事件のことには触れないようにして欲しい」
とした、第三者の優しい意見があった。

地震直後、私はしばらくテレビにかじり付いていた。
なにがどうしてどうなったのか、よく知りたかったからだ。
いろんな事実が一通りわかるまでは、ある意味でハイな状態である。
とにかく、事実、状況、予測が知りたい。

日常生活が始まってから、しばらくは「異様なハイ」状態が続いた。
「自分は、肉体的にも、精神的にも大丈夫である」と自分に言い聞かせるための
ハイなのだと思う。
が、逆に「気が落ち着かない」のである。
ず〜〜〜っとハイのままなので疲れる。
1週間後から出社している中で、
その変な疲れに気づいたのは、2週位後だろうか。
この時は気がハイなので「自分の疲れ」にはまだ全く気づいていない。
ただ「ハイで疲れて変だ」と思った。
この時、素人ながらにアロマテラピーを試みる。
朝晩、マスクに適当なエッセンシャルオイルをふりかけておく。

1ヵ月たった頃。
人から「体中がかちかちだ」といわれて、初めて疲れていることに気づく。
緊張状態がまだ続いていた。
大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせている間は、実は大丈夫ではない。
が、大丈夫と言い聞かせるあまり緊張状態が続き、さらに疲れる。
驚いたのだ、恐かったのだ、疲れているのだ。
自分で、自分のそういう意識を認識できなかった。

人からいわれて初めて、
驚いたのだ、恐かったのだ、緊張しているのだ、疲れているのだ
・・・と気づいた。
そこから、リラックスが始まった。

その時の自分の感情や気持ちを外に出したいと思い始めた。
それまでは、人に心配を掛けられないという想いから、
「大丈夫」という以外の感情を表現してはいけないと思い込んでいた。
自分の状態がわかってから、その時の様子や、感情等をあらためて反芻し始めた。
きちんと外にだしておいたほうがよいと自分で感じたからだ。
それを何度も何度もくりかえして、いろいろと思いだすにつれ、
その時には自覚できなかった感情も蘇る。
その時に表現できなかった感情がわきおこる。
どうしてあの時、それに気づかなかったか・・・と涙を流したり、苦笑したりするわけだ。

こういうことを繰り返して行く過程で、
やがて冷静に自分が見えて来るような気がした。

何度も何度も、その時の様子や、感情を聞いて欲しい。
何も言ってくれなくていい。いや、いわれない方が多分いいのだ。
でも、聞いて欲しい。
多分自分に語っているのだから。
同情して欲しいとも、いまから助けて欲しいとも、もちろん反対して欲しいとも、
解説して欲しいとも、わかって欲しいとも思わない。
なにもしていらない。ただ、そう、そうと聞いて欲しい。
自分の中からでてくるものを、ただ受け止めて欲しい。

だが、外から与えられる刺激には、以上に敏感だ。
いまでも、映像を見せられる、音を聞かされるのはいやだ。

自分の中にあるものを、ひたすら垂れ流してしまいたいだけなのだ。

なにもいわないで。

共有できるのは、その時、一緒に居た人間だけなのだ。


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