脅迫マーケティング


 なんてしかめっつらしいタイトルなんだろう?と思われるでしょう。
私もそう思います。でも、現実にそう感じたので、そのまま書いてみようと思います。

 2001年12月は、そのほとんどを日本で過ごしました。
12月といえば"師走"師も走るほど忙しい時期。
約25日間の滞在で50名以上の方にお会いしたこの滞在は、確かに私自身にもあっという間の時間ではありましたが、それ以上に人々の生活に"切迫感"を感じたのでした。
そういえば私も、日本に暮らしている時の12月は心身ともに落着かないくらい忙しかったなぁと思います。ところが、今の私にはそういう感覚が無いのです。

 いったい何がそうさせているのか?
確かに私は2年前に会社を辞めたことで、かなりの時間を自由に使えるようにはなりました。
でも、なんだかそういう問題ではなさそうに感じるのです。

 みんな何がそんなに忙しいの?

 年末の仕事の追い込み。
 忘年会。
 クリスマス。・・・プレゼントやケーキを買ったり、レストランやホテルを予約したり!?
 お正月の旅行の予約。
 年賀状書き。
 大掃除。
 おかざりの用意。
 おせち料理。・・・の予約!?
 etc.etc. 
 
 聞くと確かに忙しい。
ところで、お正月休みって何日間あるんだっけ?
多い人で2週間、少ない人で1週間ほど。あ、1日とか2日という人も居ますよね。
たったそのお休みのために、こんなにたくさんのことをこなさなければいけないのです。
そりゃぁ大変だと思いました。


 ・・・って、えらく人ごとです、ごめんなさい(_ _)
だって人ごとなのです。
私の場合、事ではまぁ、"追込み"の時もありますが、年末とは限りません。
年会は、日本に居ればいくらか参加しますが、もともとかなり厳選してしまう方です。
体力持ちませんから。
リスマスは、今のところ子供もいませんし、幸い(!?)そんな大げさなプレゼントや予約に走り回るような"メ"にはあっていません(^^;)
行は、お正月休みやお盆休みは絶対に動かないで家でじっとしている!を、よほどのことが無い限り、昔から決め込んでいます。 だって、この時期に動いても、高い、遅い、まずい・・・に決まっていますからね。そりゃもちろん、"そうはいかない"方も多いことでしょう。
賀状は、96年あたりから、かなりe-mailに切り替え、必要最低限を心得てきました。
おかげで、海外へ出てしまった今は、頂いた方にe-mailでお返しをするくらいです。
掃除もまぁすればいいのですが、別に年末のこの暑い時にしなくても・・・
虫も多いこの時期にしてもねぇ・・・ということで、"年末だから大掃除" はしません。
思いついたときに、思いついたところをやっていくだけです。

りは、多分行くところへ行けば、シドニーでも売って入るでしょう。
でも、その必要性を感じません。
シドニーのお正月は真夏ですから、せち料理はもちろんいただきません。
まー!なんて堕落した生活!
と言われるならどうぞご自由に。
私はこの生活で、今のところ人間関係に問題があるとは感じていません。
もし、お歳暮や年賀状が来ないからもう二度と話もしない!
忘年会に参加しないヤツとは付き合わない!
という人が居たなら、ご心配なく、こちらから願い下げです。

 やらなくて済むことは、最大限やらない方針です。
人間って不思議なもので、「海外に住んでいる人」だと思うと、いりなり年賀状が来なくなろうが、
お中元・お歳暮がこなくなろうがあきらめてくれるようです。

 それじゃ、日本に居たら全部やらなきゃいけないの?
本当は辞められるんだと思うのです。
でも、確かに私も慌しい気分になってしまっていたことは否めません。あれをしておかなきゃと、気も焦ります。口癖のように「年賀状を書き始めるのは年明けだ」なんて言っていましたし、その枚数を自慢する声も多く聞いたものです。

 でも、ふと思いました。
人々はマスコミに脅迫されている。
そう、"年末だから"ということばと、"習慣"あるいは日本の"文化"の2文字に脅迫されている気がしたのです。
11月、早いと10月くらいから、クリスマスプレゼントの宣伝、忘年会会場の宣伝、胃薬の宣伝、年末年始旅行の宣伝、年賀状予約の宣伝、おせち料理予約の宣伝。そして・・・
みんなはどうしているか?
というニュースという名の宣伝です。
クリスマスプレゼントに何が売れているか?
忘年会の予算はどのくらいか?
年賀状はどのくらい売れているか?

海外旅行は、アメリカはやめてオーストラリアかヨーロッパ。いや、国内の温泉が一杯です。
こんな情報がまことしやかに、ニュースとして、雑誌の記事として、そして宣伝として、
日本国中に溢れ返ります。
そして、その時期を過ぎると必ず、
「何処に行った?」
「どんなプレゼントをもらった?」
年賀状はどのくらい書いた?もらった?」
何ていう話で盛上ります。

  それを聞いたら、貴方はどう感じますか?
年賀状を書かなきゃ。
クリスマスプレゼントを買わなきゃ。
旅行はどうしよう?
おせちはどうしよう?
お正月明けには、何か話せるネタを用意しておかなきゃ・・・
なんて、考えるわけですね。

 結局これらはすべて"やる"ことを前提に"選択"を迫られているのです。
そこには、"やめる"という選択肢は微塵も表現されていません。
むしろ、それらをしないとこの社会では生きていけないかも?という強迫観念さえ植え付けているように感じます。

 そんな風に考えていくと、日頃私達が"そんなの当然!"と思ってやっていることで、
やらなくてもいいこと、やめてもいいこと、いや、やめたほうがいいこと、あるいは、ちょっと変えるだけでもっと効果的なこと・・・結構あるんじゃないかと思います。
「どうしてやめられないの?」「だって、当然じゃない!」
ほらほら、キケンなのはその感覚です。
「どうして当然なの?」
と、もう一度よく自分に聞いてみてはいかが?


 年賀状には年賀状の役割もあります。
それぞれの行事、皆然りです。
でも100枚書いた年賀状の100枚全部が、本当にその役割を担っているでしょうか?
もしかしたら、2-3枚かも?
毎年100枚書いていた年賀状を、今年は本当に必要な3枚だけにしたら?
貴方の生活はどう変わると思いますか?
あるいは、その3枚の年賀状が変わる何ていうこともあるかもしれませんね。

  もちろん、それぞれのイベントを本来の意義でもって、本当の意味で過ごしている人が居ないわけではないでしょう。けれど、国民の多くは、"やることに意味を感じている"のが現状のような気もしますし、いろんな業界やマスコミはこぞってそこをついてきているようにしか感じられません。

 別に、忙しいこと、慌しいことそれ自体がイケナイとは思いません。
でも、"意味も無く忙しい病" に陥るのは、
単に"人生の無駄遣い"
以外の何ものでもないような気がするのです。
恐いと思いませんか?

['02.01.01]


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